集落の概要
北部大島を南北に縦断する山並みのほぼ中央には本茶峠が位置しています。つづら折りの旧国道58号線が、この峠の山すそを這いながら平地に下りてきたところに民家が点在しており、それが川内集落です。
もともと川内集落は大勝集落の一地区でしたが、戦後の米軍統治下の時代に大勝から行政分離されました。
かつては山間の奥深くまで畑地が広がり、さとうきびの収穫量が多かったため、本来、集落単位で持っていた砂糖の貯蔵庫を川内は独自で保有していました。
地名の由来は、同集落と同様の立地条件、すなわち山間深く奥まったところに位置する集落が川内と称していることなどから、地形的なものにその理由があるとされます。
我が国最初の司法試験に合格して検事となり、鹿児島商社と裁判所内部の汚職に対して徹底的に闘った岡程良 氏は川内の出身。そして、「唐通事(とうつうじ)※」で西郷隆盛翁との交流もあった祖父の岡程進儀(おかていしんぎ) 氏とともに、同集落にある岡一族の墓地で眠っています。
※江戸時代に置かれた役職で、中国語の通訳
岡 程良と祖父の岡 程進儀
江戸時代の終わり頃、芦徳で生まれ、大勝で育った。青年時代に鹿児島に出て勉強し、30歳頃中国や朝鮮に渡って朱子学を勉強した。
奄美に帰ってから唐通事として活躍すると共に、龍郷にいた西郷隆盛翁や瀬戸内町の阿木名に流されていた重野安繹(日本最初の文学博士・東大教授)氏に漢詩の指導をするなどの活躍をした。
岡家墓所の傍には見事なヒカンザクラも植えられている。ヒカンザクラは程良の祖父、岡程進儀氏が大島に初めて持ち込んだものといわれている。