集落の概要
昔は人家も2、3軒とわずかな数しかなく、漁の網干し場として近隣の人々が利用し、休息するための小屋が建っていました。その小屋を「網小屋場(あみこやば)」と呼んでいたのが訛って「あんきやば」と変化したのが集落名の由来だと言われています。
集落の背後に控える神山「オダキ」は、沖に出た漁師にとっては位置を確認する目印に、山に入る猟師にとっては災いに遭わないことを祈る山でした。また、山頂には「今井大権現」の社殿があります。
渡連のバショウ群や山の斜面に広がるソテツの群落は、他の集落には見られない独特の風景。ウニ漁が盛んな頃は、漁が解禁される6月頃から、集落前に広がる砂浜に簡易な日よけを作って、「ウニ割り」に励む集落民の姿をあちこちで見られました。
名誉町民
玉里地区の埋め立て事業を実施するなど、町制施行時の初代町長として町の振興発展に寄与した名誉町民、浜田光則氏の出身地です。
集落の見どころ
今井大権現
伝承では、奄美大島に落ち延びた平家三将のひとり平行盛は戸口に城を築き、源氏の追っ手を恐れ、笠利の蒲生崎と龍郷の今井崎に見張り番所を置き、今井崎は今井権太夫に見張りをさせ決められた日ごとに戸口への連絡を送らせていた。しかし、権太夫は女性にうつつを抜かし報告が遅れてしまったため、戸口では来るべき連絡が来ないことから源氏が攻めてきたと思い全員が自害。後にそれを知った権太夫も自害したと言われ、その今井権太夫を祀ったのが今井大権現である。